「稲」 古く、縄文時代から始まった稲作は、狩猟移動生活から、定住生活といった生活様式に移行する文化形成に、大きく関係した事が考えられます。
稲を「富草」と呼んだりもしますが、これが、富を蓄えるという思想を形成させていきました。つまり、貧富の差や、人の階級などを形成し、富を蓄積する事への人間の煩悩に火をつけたのです。
あまったら分けてあげる、的な習慣から、交換する、または販売する。といった展開で、競争社会は加速していきました。米を蓄えすぎても、食べきれなければ腐らせるだけですから、また災害などで予測できない事態も発生します。
飢餓が起こらないように安定供給できるのは理想ですが、理想と現実のギャップで苦しむのが人間の住んでいる人の世です。競争社会、受験戦争、出世競争など。他人を蹴落としてでも富を蓄える。
人間の煩悩は限りありません。自分の食べるものが余れば隣の人に分けてあげる。
古き日本の習慣をなるほどなぁ。と良きところは記憶に残したいです。
世のありかたは常に変化していく。
無常の世はあたりまえ。
それをしれば、天に富を築きましょう。宇宙ステーションか?
・・・ではありません。
2021/09/21 黄金の稲穂ぺこりとお辞儀する 佳風